蘆津村(読み)あしづむら

日本歴史地名大系 「蘆津村」の解説

蘆津村
あしづむら

[現在地名]智頭町芦津あしづ

大呂おおろ村の北、急峻なおきノ山・とう山の麓を西流する北股きたまた川沿いに位置し、集落はおもに北岸に形成されている。葦津とも書き、枝村に倉谷くらたに堂本どうもとなどがある(因幡志)。平将門の乱後、将門に味方した大呂・綾木・寺谷・中内の四氏が落人となって北股に移り住み五年間木地屋を営んだという。その後大呂伊賀守のみをのちの大呂村の地に残し、他の三氏は奥の当地に移り木地屋を続けた。長禄三年(一四五九)若狭甲斐守に願い当地が三氏の領分となった際、大呂村・蘆津村が立てられたという(初稿八頭郡誌)

藩政期の拝領高は六九石余。天明六年(一七八六)の智頭郡下札帳(石谷家文書)によると朱高七六石余、毛付高一二六石余、本免四ツ九分、同年の物成高六〇石余、ほかに山役米一石六斗が課されていた。「因幡志」では家数五二。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳によれば生高一五〇石余、竈数六二。文化一二年(一八一五)類焼一一軒に及ぶ火災があった(在方諸事控)。同二年村では倉谷から砂子谷すなごだに辺りまでの切畑を田畑にしたい旨を願出ている(芦津区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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