藺牟田郷(読み)いむたごう

日本歴史地名大系 「藺牟田郷」の解説

藺牟田郷
いむたごう

薩摩国伊佐郡の最南部に突き出して位置する。藺牟田村一村で一郷をなす小規模の郷。鹿児島城下からの距離は八里(「薩藩政要録」など)。永禄一二年(一五六九)渋谷一族が島津氏に降り、当地一帯が島津氏の支配下に入ったのち藺牟田が外城として立てられたとみられる。天正二年(一五七四)八月一五日、藺牟田地頭川上上野守(久隅)は泰平時に地頭役は同氏にとって分不相応であるとして、地頭を免ぜられるよう宮崎城(現宮崎市)城主上井覚兼らを通じて願出た。当初島津義久は許可しなかったが、同月二二日に至り愁訴が受入れられ地頭を免じられた。その後藺牟田地頭には新納治部少輔(久厚)が補任されたらしい。翌三年三月六日川上久隅は、藺牟田へ戻ろうとした衆中馴松右衛門尉の受入れを新納氏が拒否したことを不満とし、同月一五日の犬追物への不参加を申し出ている。四月一日久隅はこの件について島津氏老中に重ねて愁訴、二日には馴松右衛門尉・新納久厚双方の申し分が調査され、四日にはこの双方の申し分が川上久隅に伝えられたが、久隅は納得しなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報