蒲生君平墓(読み)がもうくんぺいのはか

国指定史跡ガイド 「蒲生君平墓」の解説

がもうくんぺいのはか【蒲生君平墓】


東京都台東区谷中の臨江寺(りんこうじ)にある幕末尊皇論の先駆者、蒲生君平の墓。墓地は本堂に向かって左側、庫裡(くり)裏の傾斜部分に所在し、墓石は角石で、総高161.5cm、幅87cm、奥行き83.5cm。1818年(文政1)に水戸藩の学者、藤田幽谷(ゆうこく)らによって造立された墓の四面には幽谷の撰文が刻まれており、1942年(昭和17)に国の史跡に指定された。山門にある「勅旌忠節蒲生君平墓」と彫った石碑は、1869年(明治2)、下野国宇都宮藩知事が建立したもの。君平は、1768年(明和5)、宇都宮の商家に生まれ、若いころから国学を学び、藤田幽谷らと交わり、諸国の天皇陵を調査し、1801年(享和1)に『山陵志』2巻を完成させた。この書は尊皇論の先駆をなすもので、尊皇思想に与えた影響は大きく、蒲生君平は高山彦九郎林子平(はやししへい)とともに「寛政三奇人」の一人と称せられている。東京メトロ千代田線根津駅から徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報