日本歴史地名大系 「落針村」の解説
落針村
おちばりむら
- 三重県:亀山市
- 落針村
[現在地名]亀山市布気 町
東海道に沿う村々では人の出入りが頻繁であったが、元禄八年(一六九五)三月六日に出された博奕の禁令に付け足して、とくに城下西方にあたる諸村に対し「海道筋村々茶屋弥以入念可申候、且又野村、野尻村、落針村、小野村、市ノ瀬村、沓掛村ハ山人之宿一切不仕様」(九九五集)に藩の指令が出されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東海道に沿う村々では人の出入りが頻繁であったが、元禄八年(一六九五)三月六日に出された博奕の禁令に付け足して、とくに城下西方にあたる諸村に対し「海道筋村々茶屋弥以入念可申候、且又野村、野尻村、落針村、小野村、市ノ瀬村、沓掛村ハ山人之宿一切不仕様」(九九五集)に藩の指令が出されている。
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