朝日日本歴史人物事典 「落合豊三郎」の解説
落合豊三郎
生年:文久1.2.29(1861.4.8)
明治期の陸軍軍人。松江藩士落合鍬蔵,たけの3男。明治13(1880)年陸軍士官学校工兵科卒,19年陸軍大学校卒業。工兵としては初の陸大出身者。参謀本部,陸大勤務を経て26~27年にドイツ,29~30年にはイタリアで公使館付武官,32~39年には参謀本部第5部長を務めた。第5部は要塞整備を担当したが存続期間が短く,専任で部長に任じられたのは落合だけである。日露戦争(1904~05)に当たっては,第2軍参謀長として出征したが作戦指導が慎重すぎるとして遼陽会戦後更迭され,満州軍参謀などを経て,38年5月新設の満州軍総兵站監部参謀長。43年陸軍中将に進み,大正3(1914)年東京湾要塞司令官を最後に予備役となる。貴重な工兵畑の参謀で,要塞にも精通していたが,日露戦争では,野戦軍の参謀長だったため,専門知識が生かしにくかった。
(鈴木淳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報