荷坂峠(読み)にざかとうげ

日本歴史地名大系 「荷坂峠」の解説

荷坂峠
にざかとうげ

東長島ひがしながしまより片上かたかみ池に沿い片上を経て片上川をさかのぼると、標高二四一メートル余の荷坂峠に達する。紀伊伊勢の国境、現北牟婁と度会わたらいの郡境である。「紀伊続風土記」に「荷坂山、片上の艮にあり、麓まて五町、麓より峠まて十八町、往還なり、峰通りを紀勢の界とす、即勢州度会大内山谷川口村に至る、二郷村より路程総て一里半といふ」とある。寛永一二年(一六三五)和歌山―田辺たなべ、そして中辺路なかへじを経て本宮那智なち新宮(いずれも現和歌山県)に至る熊野街道に、新宮―田丸たまる(現度会郡玉城町)間の道が延長編入され、正式には熊野往還道、通称東熊野街道ともよばれた。中世のツヅラト峠越が、いつ荷坂峠越に路線変更されたか不明であるが、寛永初年から荷坂峠越の工事が始まり、その完成を待って路線変更が決定されたとする説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「荷坂峠」の意味・わかりやすい解説

荷坂峠
にさかとうげ

三重県中南部、度会(わたらい)郡大紀(たいき)町と北牟婁(きたむろ)郡紀北(きほく)町との境にある峠。標高242メートルで、紀伊山地熊野灘(くまのなだ)に向かって落ち込む所にあるため、峠の南は急傾斜で、海を見下ろす景観は雄大。熊野街道(国道42号)の難所の一つであったが、1967年(昭和42)に荷坂トンネルが通じて便利になった。並行して紀勢本線(きせいほんせん)が通じるが、1930年(昭和5)の開通まで2年5か月を要する難工事であった。2013年(平成25)峠の西方を紀勢荷坂トンネル(2986メートル)で抜ける紀勢自動車道が開通した。世界遺産「熊野古道」のルートの一つとなっている。

[伊藤達雄]

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