荒神原村(読み)こうじんばらむら

日本歴史地名大系 「荒神原村」の解説

荒神原村
こうじんばらむら

[現在地名]芸北町荒神原

苅屋形かりやがた村の南に位置し、大佐おおさ山の東麓を流れる大佐川上流に沿う標高約六五〇メートルの地に集落が展開する。東は奥中原おくなかはら村、南は宮地みやじ中祖なかそ政所まんどころの諸村、西は石見波佐はざ(現島根県那賀郡金城町)。村名の由来は「村氏神祭神三宝荒神を崇来申候此故」(国郡志下調書出帳)と伝える。元和五年(一六一九)の安芸国知行帳に「高神原村」とみえるが、その後「荒神原村」に改める(元禄一三年「人別畝高之帳」深井家蔵)。村高は前記知行帳に一四一石とあり、以後変更がない。寛延三年(一七五〇)定免五・五五が施行される。

荒神原村
こうじんばらむら

[現在地名]日野町上菅かみすげ

湾曲しながら北流する日野川右岸の峡間の段丘上に位置し、東は上菅村。拝領高は六石余、本免は三ツ。幕末の六郡郷村生高竈付では生高五八石余、竈数一三。「伯耆志」では林二反余、家数一四・人数六二、産土神は上菅村鎮座の高宮たかみや大明神。文化元年(一八〇四)日野川上流の水神滝に高さ一丈三尺・長さ四五間の荒神原堰を設け、四町四反余の畑田が形成された(長尾家文書)。堰構築に際しては生山しようやま(現日南町)にある御立山の材木伐採願が出され許可されている(在方諸事控)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android