荒木田村(読み)あらきだむら

日本歴史地名大系 「荒木田村」の解説

荒木田村
あらきだむら

[現在地名]西根町荒木田

七時雨ななしぐれ山に連なる荒木田山麓一帯に開け、南は平館たいらだて村、東は上関うわせき村。荒木田山に発する沢が当村中央で合流して荒木田川となってりよう川へ流下する。この沢を利用して、上関村に先立ち水田開発が行われたと考えられる。荒木田川上流の寺沢てらさわ、寺沢南方の間館またて、次に荒木田川沿いの順で、鎌倉時代初期から鎌倉御家人の工藤行光一族が土豪とともに開発し、南北朝時代に入って七時雨山を越えて三戸南部氏一族の一戸光恒が当村を領有、荒木田五郎と称したと考えられる。


荒木田村
あらきだむら

[現在地名]小松市荒木田町・光陽町こうようまち

かけはし川中流左岸の平野部にあり、東対岸は立明寺りゆうみようじ村・遊泉寺ゆうせんじ村、北は埴田はねだ村。中世得橋とくはし郷長恒名に属した。永仁五年(一二九七)二月二二日鎌倉幕府は橘成政に加賀国八幡宮神主職および「得橋郷長恒名内荒木田内畠弐所富岡畠森畠」などを安堵した(「関東下知状案」石清水文書)。伊勢神宮の神官荒木田氏の所領があったための地名という(小松市史)正保郷帳では高六二三石余、田方二四町八反余・畑方一一町七反余。


荒木田村
あらきだむら

[現在地名]美作町朽木くつぎ

倉敷くらしき村の東にある。吉野よしの川右岸沿いに立地し、東は平田ひらた村。藤原宮跡出土木簡に「備前国勝間田郡荒木田里」とある。播磨広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)社家林家長の文明一四年(一四八二)八月一〇日の檀那村書(肥塚家文書)に美作国のうち「あらきのさお太郎大夫」とあり、当地か。「東作誌」によれば、分郷の別所べつしよ村とは民家と耕地が入交じっているという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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