若宮新田村(読み)わかみやしんでんむら

日本歴史地名大系 「若宮新田村」の解説

若宮新田村
わかみやしんでんむら

[現在地名]富士見若宮

松目まつめ新田村の東南、入笠にゆうかさ山の東麓にある。南部武智たけち川(釜無かまなし川の支流)を境に木間このま村に隣接する。嘉禎三年(一二三七)の奥書をもつ「祝詞段」には「此間大平ニ若宮サンソン」とあり、「若宮サンソン」は若宮八幡社をさすことから木間地籍に古くから若宮の名があったと考えられる。木間村を親村とし、寛永一七年(一六四〇)一〇月の若宮新田開発免許状(木之間共有)には

<資料は省略されています>

とある。なお、若宮新田の草分けは七名で、このうち名取忠左エ門・名取太郎左エ門の二人は休戸やすみど村より、中山市左エ門はつくえ村、細川素仙儀師は木間村、樋口彦右エ門はとちのき村、田中勘右エ門は田辺たんべ(現諏訪市)、前島市右エ門は北大塩きたおおしお村(現茅野ちの市)より移住。

若宮新田村
わかみやしんでんむら

[現在地名]岡谷市若宮

小井川おいかわ村の南部、諏訪湖岸に近い湿潤地帯を開拓した新田である。

「諏訪郡諸村旧蹟年代記」に「正保二年西堀村より出ル若宮新田親村無之別村也、小井川村分ト云、人は橋原村より出ル 家数拾軒有之」とあり、草分は橋原はしばら村の四郎右衛門・新五と伝えられている(諏訪史)。ただし正保三年(一六四六)の小井川村検地野帳に橋原の四郎右衛門らが入作しており、実際の開発はそれ以後と思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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