諏訪郡(読み)すわぐん

日本歴史地名大系 「諏訪郡」の解説

諏訪郡
すわぐん

面積:二五〇・八二平方キロ
下諏訪しもすわ町・富士見ふじみ町・はら

郡の北部にある下諏訪町は、北は三峰みつみね(一八八七メートル)わしヶ峰(一七九八メートル)によって小県ちいさがた郡と境し、西は旧郡内岡谷市、東南は旧郡内の諏訪市、南は諏訪湖に接し、湖北に平坦地を形成している。三峰山を源とする川がきりヶ峰からの支流を合わせ北西部を貫流して諏訪湖に入っている。郡の南東部にある富士見町と原村は南北に隣接し、北は旧郡内茅野ちの市に接し、西は入笠にゆうかさ(一九五五メートル)釜無かまなし(二一一六メートル)によって上伊那郡と、南は釜無川・甲六こうろく川によって山梨県と、東は八ヶ岳によって南佐久郡と境し、八ヶ岳西南山麓に広大にして緩やかな傾斜面と高原地帯を形成している。八ヶ岳を源とするみや川は原村及び富士見町西北部からの支流を合わせ北流して茅野市へ入り諏訪湖へ、また、赤石あかいし山脈北部の甲斐駒かいこまヶ岳を源とする釜無川は立場たつば川その他の支流を合わせて郡南部から山梨県へ入り富士ふじ川に合流している。

郡名の諏訪は「古事記」には「州羽」、「続日本紀」及び「延喜式」には「諏方」と記され、「和名抄」には「諏方」「諏訪郡」とみえ、「令集解」には「須芳郡」「須芳山嶺道」と記されている。諏訪郡の範囲は、「和名抄」(流布本)では「土武 佐補 美和 桑原久波波良 神戸 山鹿也末 弖良」の七郷がみえ、承久元年(一二一九)の「諏方十郷日記」(守矢文書)には

<資料は省略されています>

と、いわゆる諏訪十郷の名が記されている。「諏方大明神画詞」に「伊那郡と諏方郡トノ堺ニ大田切ト云所ニテ」とあり、現駒ヶ根こまがね市に大田切おおたぎりの地名がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android