苅田庄(読み)かんだのしよう

日本歴史地名大系 「苅田庄」の解説

苅田庄
かんだのしよう

古代の京都郡刈田かんだ(和名抄)の郷名を継承したとみられる宇佐宮弥勒寺領庄園。現苅田町北部一帯に比定される。建久八年(一一九七)の豊前国図田帳断簡(到津文書/鎌倉遺文二)に「苅田二郎丸六十丁」とみえ、弥勒寺領の加納得善名を構成していた。当庄は弥勒寺の本所であった山城石清水いわしみず八幡宮内部で相伝され、承久二年(一二二〇)一二月一〇日、検校祐清から子の宝清に(「石清水八幡宮検校祐清譲状」石清水文書/鎌倉遺文四)、宝清から仁治三年(一二四二)九月二五日に宮清へ(「家田宝清処分状」同文書/鎌倉遺文八)、宮清から文永一一年(一二七四)七月に尚清へと譲られ(「宮清処分状」同文書/鎌倉遺文一五)、宮寺別当坊の善法寺家に相伝された。

南北朝期には苅田城があり、観応二年(一三五一)一一月に攻防戦があった(同三年六月「西郷有政軍忠状写」西郷文書/南北朝遺文(九州編)三)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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