舟山(読み)ふなやま

日本歴史地名大系 「舟山」の解説

舟山
ふなやま

[現在地名]小松町新屋敷 舟山

新屋敷しんやしきの西部、南川みなみがわとの境に位置し、国道一一号の南側に舟形にみえる細長い丘陵。東西約三〇〇メートル、南北約一〇〇メートル、高さ約二五メートル。船山とも記される。

丘上には舟山古墳群がある。またこの舟山周辺は中世の舟山古戦場跡と伝えられ、「澄水記」に「享禄年中ニ周敷郡の黒川ト不和ニテ船山八幡山ノ間ニテ利鍬白刃ノ打合度々アリ、黒川ノ一族ニ久米戸田四郎左衛門ナトヽ云者討タレ」とあり、また「天正陣実記」にも剣山つるぎやま城主黒川氏と新居にい高外木たかとぎ(現西条市)城主石川氏の戦闘があったことを記している。

舟山
ふなやま

[現在地名]静岡市向敷地

安倍あべ川と藁科わらしな川の合流地点の河中、向敷地字船山ふなやまに位置する細長い小島。河中にあるため常に浸食を受け、周囲は崖になっており、標高約四三メートル。名前の由来は、島の形が細長く舟の形に似ており、安倍川の満水時には水に浮いているようにみえることによる(「駿河風土記」など)。かつては対岸向敷地むこうしきじ猿郷さるごう地続きであったという。昔の藁科川は舟山の東を流れていて、田に水を引くため舟山に切通しを二ヵ所つけた(修訂駿河国新風土記)。元和年中駿府絵図(県立中央図書館蔵)で安倍川と藁科川の合流地点辺りの右岸に描かれている松山が舟山をさしているとするならば、同絵図が描かれた延宝三年(一六七五)から享保年間(一七一六―三六)頃はまだ地続きであったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報