日本歴史地名大系 「舟寄館跡」の解説
舟寄館跡
ふなよせやかたあと
舟寄の東側にある朝倉氏家臣黒坂備中守の館跡。明治初年の地籍図によると、字
「朝倉始末記」によると、天文二一年(一五五二)一向一揆攻撃のため朝倉宗滴を総大将として加賀に侵攻した軍勢のうち、堀江景忠の麾下に黒坂勘解由左衛門尉景久がみえるが、この景久が備中守と考えられ、元亀二年(一五七一)没した(現春江町黒坂家位牌)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
舟寄の東側にある朝倉氏家臣黒坂備中守の館跡。明治初年の地籍図によると、字
「朝倉始末記」によると、天文二一年(一五五二)一向一揆攻撃のため朝倉宗滴を総大将として加賀に侵攻した軍勢のうち、堀江景忠の麾下に黒坂勘解由左衛門尉景久がみえるが、この景久が備中守と考えられ、元亀二年(一五七一)没した(現春江町黒坂家位牌)。
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