舞子砲台跡(読み)まいこほうだいあと

日本歴史地名大系 「舞子砲台跡」の解説

舞子砲台跡
まいこほうだいあと

[現在地名]垂水区東舞子町

幕末に明石海峡を封鎖するために築かれた砲台の跡。海峡最狭部である舞子と現淡路町岩屋の松帆いわやのまつほに相似形の稜堡式砲台が設置された。明治維新後破壊されたが、現在舞子浜まいこはま公園に稲妻形をした砲台前面の胸墻の石垣が東西六五メートル、高さ六メートルの規模で残る。ただし下半分はコンクリートの護岸となり、東端は明石大橋架橋工事作業基地となり埋没した。幕府は祖法の鎖国を堅持し海岸線を有する藩ではとくに海防に力を入れた。明石藩では嘉永三年(一八五〇)八月中崎なかさき(現明石市)の浜に警備員を置いて近海にくる異国船の防御警戒をさせた。同年大蔵谷おおくらだに八幡浜・出崎浜、舞子東浜に砲台を築き砲術の調練を始めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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