脇屋村(読み)わきやむら

日本歴史地名大系 「脇屋村」の解説

脇屋村
わきやむら

[現在地名]太田市脇屋・新道町しんどうちよう

別所べつしよ村の北、へび川西の低台地とその西の沖積地の接合部にあり、北は寺井てらい村、東は新野にいの村、西は小金井こがねい(現新田郡新田町)東端田島たじま堀が南流する。応永一一年(一四〇四)四月七日の新田庄内惣領知行分注文写(正木文書)には「脇谷村村田郷内」「脇谷村由良郷内」とみえる。同二二年八月一〇日の称光天皇即位要脚段銭催促状写(同文書)には「脇谷三町二反卅代」とある。一五世紀半ばのものと思われる新田庄内岩松方庶子方寺領等注文(同文書)には、岩松方上村田郷のうちに「脇谷村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報