聖像崇拝論争(読み)せいぞうすうはいろんそう

旺文社世界史事典 三訂版 「聖像崇拝論争」の解説

聖像崇拝論争
せいぞうすうはいろんそう

キリスト聖母聖者殉教者の画像・モザイク彫刻などの礼拝をめぐる論争
東方正教会内に発生した神学論争。政治問題化したのは726年のレオン3世の聖像禁止令に始まり,787年第7回ニケーア公会議で聖像崇拝は是認された。のち,815年にレオン5世が再び聖像の崇拝を禁止したが,彼の死後,843年に解除された。しかし,この実権をめぐってローマ教会との間に紛争が生じ,1054年東西両教会の分裂となった。

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