義山理忠(読み)ぎざん・りちゅう

朝日日本歴史人物事典 「義山理忠」の解説

義山理忠

没年元禄2.8.26(1689.10.9)
生年:寛永18.8.22(1641.9.26)
江戸前期の臨済宗の尼。宝鏡寺第21世。後水尾上皇の第15皇女。母は櫛笥隆致の娘逢春門院隆子。幼名香枝(栢)宮。姉の宝鏡寺住持久巌理昌が明暦2(1656)年わずか26歳で没したため,跡を継いで同年3月3日入寺,得度し大慈院を兼帯した。天和1(1681)年12月,41歳のとき紫衣を勅許され,景愛寺の住持となった。元禄2(1689)年8月21日,高徳院義山の号を賜った。没後,京都・真如寺に葬られた。<参考文献>洞院満季選『本朝皇胤紹運録』,『西山略縁起並歴代』,井之口有一ほか『尼門跡言語生活の調査研究』,荒川玲子「景愛寺の沿革」(『書陵部紀要』28号)

(岡佳子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「義山理忠」の解説

義山理忠 ぎざん-りちゅう

理忠女王(りちゅうじょおう)

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