羅隆基(読み)らりゅうき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「羅隆基」の意味・わかりやすい解説

羅隆基
らりゅうき / ルオロンチ
(1896/1898―1965)

中国の政治家。江西(こうせい/チヤンシー)省安福県生まれ。北京(ペキン)の清華大学卒業。1925年アメリカのウィスコンシン大学卒業。1928年コロンビア大学哲学博士。帰国して、天津(てんしんティエンチン)『益世報』記者となる。抗日戦中、昆明(こんめいクンミン)で西南連合大学教授。1938~1942年重慶(じゅうけい/チョンチン)の国民参政会員。1944年重慶で中国民主同盟結成に参加。1949年、中華人民共和国成立とともに人民政府政務委員。1950年民主同盟副主席、外交学会理事。1954年全国人民代表大会常務委員、政治協商会議常務委員。1956年森林工業相。1957年党の整風運動のなかで、章伯鈞(しょうはくきん/チャンポージュン)(農工民主党主席)と結んで反共活動を行ったとして非難され、1958年要職を解任される。しかし、翌1959年には民主同盟委員、政治協商会議全国委員として部分復活。1964年にも再選された。

[高市恵之助]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「羅隆基」の意味・わかりやすい解説

羅隆基
らりゅうき
Luo Long-ji

[生]光緒22(1896).江西,安福
[没]1965
中国の教育家,政治家。清華大学卒業後,アメリカに留学。帰国後,清華大学教授,天津で『益世報』編集者,北京の『晨 (しん) 報』総経理を歴任。抗日戦中は国民参政員,1953年民主同盟副主席。 54年第1期全国人民代表大会江西省代表,同大会常務委員。 56年国務院森林工業部長。 58年整風運動に際し反共的言動をとったかどで,森林工業部長,全人代代表などのすべての要職を罷免された。 59年に復権し,民主同盟委員,人民政治協商会議委員に選出された。

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