結城野(読み)ゆうきの

日本歴史地名大系 「結城野」の解説

結城野
ゆうきの

みやこ川河口に形成された干潟の地。現中央区寒川さむがわ町・みなと町・神明しんめい町一帯に比定され、天正期(一五七三―九二)まで千葉郡寒川さんが村は結城といわれ、その周辺を結城野と称したという。「源平闘諍録」には、治承四年(一一八〇)九月千田ちだ(現多古町)判官代藤原親正が匝瑳北条の内山そうさほうじようのうちやま(現八日市場市)から一千余騎を率いて出陣し、千葉館西下の「結城浜」へ攻め寄せたとある。また「平家物語(延慶本)巻二には、千葉常胤三千余騎が結城ノ浦で源頼朝と参会したとある。この浦は結城野の沖合の海で、中世海上往来の船舶が結城明神(現寒川神社)沿岸を通過する際には礼帆を行ったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報