納屋堀(読み)なやぼり

日本歴史地名大系 「納屋堀」の解説

納屋堀
なやぼり

[現在地名]高知市みなみはりまや町一―二丁目

朝倉あさくら町と浦戸うらど町の間、横堀より西にうがった堀沿いに成立した町。堀の北側は浦戸町、南側は朝倉町の各々枝町であった。朝倉町と浦戸町の境界に悪水路があるのを、寛永六年(一六二九)二代藩主山内忠義が称名しようみよう寺への参詣の折に知り、改修を指示、両町は自力で堀を造った。この堀に沿って商品を格納する納屋が建並んだため納屋堀と称されるようになり、やがて水産物を取扱う問屋などが置かれた。同七年藩は次のような定書を出し、城下に集まる海産物などの専売特権を与えて保護した(高知風土記)

<資料は省略されています>

納屋堀の問屋には四一座の株が認められ、うち朝倉町は二三座、浦戸町は一八座とされていた(南路志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報