糸価安定問題(読み)しかあんていもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ) 「糸価安定問題」の意味・わかりやすい解説

糸価安定問題
しかあんていもんだい

主要輸出商品である生糸の価格維持をめぐる問題。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)後、景気変動と為替(かわせ)相場の乱高下により、生糸はしばしば輸出不振、価格暴落に陥った。政府は当初、蚕糸業者・問屋出資による帝国蚕糸株式会社(1915年、20年、27年の3回設立)に対し、助成金を交付し、あるいは低利融資を行って生糸を買収させ糸価維持に努めた。1929年(昭和4)に政府は糸価安定融資補償法を制定したが、世界恐慌のなかで糸価安定の目的は達せられなかった。そこで32年には糸価安定融資担保生糸買収法および糸価安定融資損失善後処理法を制定、政府が滞貨を買収し、政府・銀行・製糸業者の三者で損失を負担した。以上の経験により政府は糸価安定の恒久的施策として、37年に糸価安定施設法を制定、同時に糸価安定施設特別会計を設置して、糸価の基準価格を設定し、糸価がそれを超えるときは政府が直接生糸の買入れ・売渡しに乗り出すこととした。ついで41年3月には蚕糸業統制法が制定され、統制会社が繭・生糸を一手に買取り販売し、糸価には公定価格が設けられた。蚕糸統制は49年(昭和24)5月までに撤廃された。

 第二次世界大戦後、生糸輸出振興のためふたたび糸価安定が課題となったが、それは1951年制定の繭糸(けんし)価格安定法(1952年1月施行)を中核として行われた。同法により政府は、生糸の価格安定帯を設け、それを超える糸価の異常変動を防止するため、政府が生糸の買入れ・売渡し操作を行った。その後は66年発足した政府・製糸業者・養蚕者共同出資の日本蚕糸事業団(1981年蚕糸砂糖類価格安定事業団、さらに1996年農畜産業振興事業団改組)により糸価操作が行われていた。しかし98年(平成10)に繭糸価格安定法が改正され、これにより農畜産業振興事業団が行っていた国産生糸の買入れ・売渡し業務は廃止された。糸価安定は生糸輸入量の調整のみで図られている。

[大森とく子]

『日本繊維協議会編『日本繊維産業史 各論編』(1958・繊維年鑑刊行会)』『楫西光速編『現代日本産業発達史Ⅺ 繊維 上』(1964・現代日本産業発達史研究会)』『『日本蚕糸事業団十年史』(1977・日本蚕糸事業団)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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