粟生津村(読み)あおうづむら

日本歴史地名大系 「粟生津村」の解説

粟生津村
あおうづむら

[現在地名]吉田町粟生津

上河原村外かみがわらむらと新田の南に接し、西は西にし川、南は高木村たかぎむら古新田。天正一二年(一五八四)七月二四日の上杉景勝朱印状(東京大学史料編纂所所蔵文書)に「粟生津・上条村」とみえ、黒川左馬允の訴えを認めて郡司不入の地としている。開発に関しては、天正の頃鈴木蔵人なる者が土着し里務をつかさどり、文禄三年(一五九四)和田茂兵衛が荒蕪地を開墾、慶安二年(一六四九)と承応三年(一六五四)長岡藩検地があり、民家七五という。また文禄三年茂兵衛が「青津嶋」を切起こし、高七八石六斗の青津村を創立、寛永八年(一六三一)村名を粟生津村と改めたという。慶安検地の高二六六石一斗・除地一町余、百姓一二三(屋敷持七八)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報