笹森 儀助(読み)ササモリ ギスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「笹森 儀助」の解説

笹森 儀助
ササモリ ギスケ


肩書
青森市長

生年月日
弘化2年1月25日(1845年)

出生地
陸奥国弘前在府町(青森県弘前市)

経歴
陸奥弘前藩士。明治3年弘前藩庁権少属、14年青森県中津軽郡長となる。15年士族授産のため岩木山の麓に農牧社を経営。24年より西国巡視。25年請願して探検艦磐城に便乗し、千島列島を探検、翌年奄美、沖縄諸島を調査し、国境警備、辺境の社会改革を提言した。27年奄美大島島司に推され、31年まで務めた。この間、吐噶喇列島の調査、台湾視察を行い、次いで朝鮮シベリアまで調査の範囲を広げた。32年近衛篤麿の東亜同文会の創立に加わり、また朝鮮咸鏡道に城津校を創立、校長に就任。34年帰国、35年青森市長となった。著書に「千島探検」「南島探検」「拾島状況録」「西伯利亜旅行日記」「台湾視察論」など。

没年月日
大正4年9月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「笹森 儀助」の解説

笹森 儀助
ササモリ ギスケ

明治期の探検家,島嶼研究家 青森市長。



生年
弘化2年1月25日(1845年)

没年
大正4(1915)年9月29日

出生地
陸奥国弘前在府町(青森県弘前市)

経歴
陸奥弘前藩士。明治3年弘前藩庁権少属、14年青森県中津軽郡長となる。15年士族授産のため岩木山の麓に農牧社を経営。24年より西国巡視。25年請願して探検艦磐城に便乗し、千島列島を探検、翌年奄美、沖縄諸島を調査し、国境警備、辺境の社会改革を提言した。27年奄美大島島司に推され、31年まで務めた。この間、吐噶喇列島の調査、台湾視察を行い、次いで朝鮮、シベリアまで調査の範囲を広げた。32年近衛篤麿の東亜同文会の創立に加わり、また朝鮮咸鏡道に城津校を創立、校長に就任。34年帰国、35年青森市長となった。著書に「千島探検」「南島探検」「拾島状況録」「西伯利亜旅行日記」「台湾視察論」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「笹森 儀助」の解説

笹森 儀助 (ささもり ぎすけ)

生年月日:1845年1月25日
明治時代の探検家。青森市長
1915年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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