竹花町(読み)たけのはなちよう

日本歴史地名大系 「竹花町」の解説

竹花町
たけのはなちよう

[現在地名]小田原市さかえ町三丁目

須藤すとう町の北、甲州道に面した脇町で、小田原宿北端の井細田いさいだ口に通ずる。「永代日記」承応三年(一六五四)七月一八日条に町名がみえる。万治二年(一六五九)稲葉氏の検地を受け、高三四四石余の地に名請人二五名がいたが、のち商人となり宿場町を形成し(「町明細覚書」石井文書)、地人足役二五軒分を負担した(「小田原町明細書上」県史九)

元禄一三年(一七〇〇)の町絵図(石井家蔵)では家数二八(街道の東側一三、西側一五)。天明二年(一七八二)の地震破損届(同文書)では家数三〇、ほか店借一六、土蔵二〇で、七月の大地震で家の大破二六、中破一七、小破三、土蔵の大破一六、中破三、小破二の被害を受けたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報