立石営跡(読み)たていしのえいあと

日本歴史地名大系 「立石営跡」の解説

立石営跡
たていしのえいあと

[現在地名]山香町立石 五徳寺

日出藩主木下家から出た旗本木下家の屋敷や家臣の屋敷、役所などからなり、現JR日豊本線立石駅の西側にあった。寛永一九年(一六四二)正月日出藩初代藩主木下延俊は次男延次(延由)に藩領三万石のうち立石五千石を分知することを遺言して没した。同年六月延次は三代将軍徳川家光に拝謁、分知を認められて旗本交代寄合席に列した。正保三年(一六四六)二月延次は立石に入り、鳥越とりごえに仮陣屋を設け、五徳寺の喜多之原ごとくじのきたのはるを選定して営所の造営にかかった。鳥越の仮陣屋は大庄屋綾部勘左衛門の屋敷を接収した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報