秩父重弘(読み)ちちぶ・しげひろ

朝日日本歴史人物事典 「秩父重弘」の解説

秩父重弘

生年生没年不詳
平安中期の武蔵国の豪族。関東平氏秩父氏に属す。重広とも書く。通称太郎大夫(一説に九郎大夫)。父は秩父氏の始祖出羽権守重綱。武蔵国男衾郡畠山郷(埼玉県川本町)を本拠とし,子孫は畠山氏を称した。久寿2(1155)年,源義賢(源義仲の父)を養君とする弟重隆と,源義平(源頼朝の長兄)を擁立した母の実家児玉党とが衝突した武蔵大蔵合戦においては,義平に味方して重隆を敗死させたといわれる。娘を千葉常胤に嫁がせ,嫡子重能の妻に三浦義明の娘を迎えるなど,関東平氏との連合を強化し,秩父氏繁栄の基礎を作った。<参考文献>峰岸純夫「鎌倉悪源太と大蔵合戦」(『三浦古文化』43号)

(海津一朗)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「秩父重弘」の解説

秩父重弘 ちちぶ-しげひろ

?-? 平安時代後期の豪族。
畠山重忠祖父。桓武(かんむ)平氏の子孫。久寿2年(1155)の武蔵(むさし)大蔵合戦では源義平(よしひら)につき弟の重隆とたたかう。千葉常胤(つねたね)や三浦義明と縁戚(えんせき)関係をむすび,秩父氏の基盤を強化した。武蔵男衾(おぶすま)郡(埼玉県)出身。通称は秩父太郎。

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