秋鹿郡(読み)あいかぐん

日本歴史地名大系 「秋鹿郡」の解説

秋鹿郡
あいかぐん

近世の郡域は北を日本海、南を宍道湖に限られ、東は島根郡、西は楯縫たてぬい郡に接する。現在の松江市北部の西半分、および平田市東端部、八束やつか鹿島かしま町西部を含む地域にあたる。郡名の訓は「和名抄」東急本国郡部に「安伊加」、同書名博本は「穐鹿」と記してアイカとする。アキカとする説もある。

〔古代〕

出雲風土記」の郡名伝承に、郡家の北に秋鹿日女命が座していたのがその名の由来とある。風土記には恵曇えとも多太ただ大野おおの伊農いぬの四郷と神戸かんべ里が載る。郡家は多太郷辺りと推定され、一説に現松江市東長江ひがしながえ町の郡崎こおりざきを遺称地とする見解がある。天平五年(七三三)時の秋鹿郡郡司は、大領外正八位下勲一二等刑部臣、権任少領外従八位下蝮部臣、主帳外従八位下勲一二等日下部臣(同書)。同六年の出雲国計会帳(正倉院文書)に、秋鹿郡人として日下部味麻と額田部首真咋の名がみえる。島根郡との境の南部には入海(宍道湖)と通じる佐太さだ水海があり、北から佐太川(現在の佐陀川南部)が流れ込んでいた(風土記)。佐太水海はのち埋立てられ、現松江市の西浜佐陀にしはまさだ町と浜佐田はまさだ町の間にある潟之内かたのうちはその名残とされる。秋鹿郡家から島根郡家へは佐太川に架かる佐太橋を、楯縫郡家へは伊農橋をそれぞれ越えて通道が通っていた(同書)

「延喜式」神名帳記載の秋鹿郡小一〇座は佐神社(佐太御子社、現鹿島町佐陀宮内の佐太神社に比定)、宇多紀神社(宇多貴社、前記佐太神社に合祀)、大井神社(大井社、現鹿島町名分の大井神社に比定)、日田神社(比多社、前記佐太神社の境内社に比定)、御井神社(御井社、比定社不明)、内神社(宇智社、現松江市大垣町の内神社に比定)垂水神社(垂水社、前記佐太神社の境内社に比定)、恵曇神社(恵杼毛社、現鹿島町佐陀本郷の恵曇神社に比定)許曾志神社(許曾志社、現松江市古曾志町の許曾志神社に比定)、大野津神社(大野津社、現松江市大野町の大野津神社に比定)である(括弧内の社名は風土記の表記)。平城京二条大路跡出土木簡に「出雲国秋鹿郡多太郷中男作物海藻陸斤籠重十両 天平九年十月」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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