秋月街道(読み)あきづきかいどう

日本歴史地名大系 「秋月街道」の解説

秋月街道
あきづきかいどう

豊前国小倉から筑前国秋月(現甘木市)を経て筑後国松崎まつざき(現小郡市)に至る街道。松崎よりさらに筑後国府中ふちゆう町・久留米城下(現久留米市)や肥前国田代たしろ(現佐賀県鳥栖市)に続いた。「伊能忠敬測量日記」文化七年(一八一〇)一月一二日条に小倉城下常盤ときわ橋東側の「宝町秋月街道三辻より初」とある。大田南畝の「小春紀行」に記された道標(現在の北九州市小倉北区赤坂にあった)には「自是東筑前八丁越道」とあり、秋月街道が八丁越はつちようごえ道とよばれていたことがわかる。ほかに香春かわら街道(香春往還)・小倉街道・豊前街道とも称された。豊前・筑前・筑後の元禄国絵図で秋月街道の道筋を小倉から南へたどると、徳力とくりき村―石原いしはら村―呼野よぶの(現北九州市小倉南区)木部きべ(金辺峠、現在の小倉南区と香春町の境)採銅所さいどうしよ村―香春(現香春町)猪膝いのひざ(現田川市)―筑前国大隈おぐま町―千手せんず(現嘉穂町)―八町越(八丁越、現在の嘉穂町と甘木市の間)―秋月―野町のまち(現三輪町)―筑後国松崎町となる。

〔古秋月街道〕

 慶長筑前国絵図と元禄筑前国絵図を比較すると、前者には(一)千手町が描かれていない、(二)秋月城下が描かれていない、(三)甘木町を経て筑後国本郷ほんごう(現大刀洗町)へ至る道が描かれ、野町を経て筑後国松崎に至る道が描かれていないという相違点がみられる。(一)は千手町が黒田長政の入国後、慶長一七年(一六一二)宿駅として建てられたことによる(続風土記・地理全誌)。(二)は黒田長興が福岡藩主より秋月五万石を分封されたのが元和九年(一六二三)であるため。(三)は慶長国絵図に描かれた道は中世以来の古い道で、野町宿は寛永一四年(一六三七)に立てられたことによる(続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報