福能部庄(読み)ふくのべのしよう

日本歴史地名大系 「福能部庄」の解説

福能部庄
ふくのべのしよう

七条しちじよう町・八条はちじよう町・今川いまがわ町付近に比定され、古代坂田郡条里の七条二―四里、八条二―四里に相当する。福野辺とも記す。康永四年(一三四五)三月三日の源氏重観音寺仏性灯油田寄進状(大原観音寺文書)によると、「福能部庄」八条二里一九坪の田地一反が寄進されている。これ以降、戦国期までの売券・寄進状(同文書)からは、条里に従って七条庄・八条庄の異称があったことが知られる。

観応三年(一三五二)九月二〇日、「庄内功田地頭職」が目賀田玄向に宛行われたが(「足利義詮袖判下文」古証文)、その後、福能部式部大夫入道によって押領されたため、応安二年(一三六九)九月二四日に幕府は近江守護六角氏頼に濫妨停止を命じている(「今川貞世施行状」亀田輝時氏所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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