福善寺(読み)ふくぜんじ

日本歴史地名大系 「福善寺」の解説

福善寺
ふくぜんじ

[現在地名]尾道市長江一丁目

常称じようしよう寺の西にあり、光明山と号し浄土真宗本願寺派本尊阿弥陀如来。精巧な彫刻をほどこした山門があり、境内には「鷲の松」と称される老松がある。天正元年(一五七三)僧行栄の開基で、当初、久保くぼ宮崎みやざきに小庵が営まれ、土堂つちどうてら小路にあった荒木屋敷(伝荒木村重住居)に移転、念西のとき本願寺直末となり、現寺号とし寛永七年(一六三〇)現在地に移ると伝える。寺蔵の絹本著色光明本尊(県指定重要文化財)は南北朝時代のもので、備後南部における初期真宗教団に関する貴重な資料とされる。

福善寺
ふくぜんじ

[現在地名]高松市御坊町

御坊ごぼう町の西端にある。無漏山須摩提院と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。将軍家代々と水戸頼房の位牌を安置していた(讃岐国名勝図会)。寺伝によると、もと甲斐国にあったが、大永年間(一五二一―二八)沙門正了が讃岐坂田さかた郷に移したという。「讃岐国名勝図会」は坂田郷に福善寺屋敷があったと伝えている。生駒正俊の母養福院の保護を受け、文禄三年(一五九四)城下うち町に移転、その後正俊の家臣佐藤掃部によって修造された(御領分中寺々由来)。寛永一六年(一六三九)現在地に移り、松平頼重の保護を受け、住持円空は頼重に法を説いたこともあった。

福善寺
ふくぜんじ

[現在地名]鈴鹿市土師町 藤ノ木

土師はぜ集落の北東部にある。真言律宗、山号円南山、本尊薬師如来坐像。行基の建立と伝えられる。文化一一年(一八一四)興正大菩薩開発太一寺井略縁起控(当寺蔵)によれば、奈良市西大さいだい寺の興正菩薩(叡尊)が弘安六年(一二八三)天下に疫病流行の時、当寺においてその祈祷によって効験あり、後宇多上皇により、当寺再興の勅命があって常塔が復興した。さらに鈴鹿川よりてら(六郷井)用水を引いたのも叡尊の労によるとしている。

福善寺
ふくぜんじ

[現在地名]三良坂町仁賀

仁賀にかの南端山中、字長沢ながさわにあり、桐尾山と号し、曹洞宗。本尊薬師如来は平安末期の作とされる(県指定重要文化財)。この仏像は秘仏とされ、三三年ごとにしか開扉されない。「備後州三谷郡仁賀村桐尾山福禅寺大仏宝殿上梁 応永三十年霜月十三日 住持源光 檀那実家」と記す棟札が残る。

福善寺
ふくぜんじ

[現在地名]八戸市是川 白幡

妻ノ神さいのかみの北東に位置する。八鳩山と号し、真言宗豊山派。本尊は不動明王。寛保四年(一七四四)の諸寺院寺号山号帳(八戸市立図書館蔵)に「一八戸豊山寺末寺是川村 八鳩山福善寺」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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