神科地区(読み)かみしなちく

日本歴史地名大系 「神科地区」の解説

神科地区
かみしなちく

上田市北東部にあたり、旧市街地の段丘上一帯で、神科台地または染屋そめや台地とよばれる地域である。昭和三二年(一九五七)上田市に合併する以前は小県ちいさがた郡神科村とよばれた。段丘の東側をかん川が北より南へ流れ、西寄り太郎たろう山麓近くを上州沼田ぬまた(現国道一四四号)東西に通じ、台地上は上田小県地方最大の規模をもつ条里的遺構を残す水田地帯が広がる。

明治四年(一八七一)廃藩置県が布告された当時は台地東側に、北より新屋あらや野竹のだけ笹井ささい岩門いわかどの各村、台地西寄りに染屋村、上州沼田道沿いに伊勢山いせやま長島ながしまの両村、太郎山麓に金剛寺こんごうじ大久保おおくぼの両村があり九ヵ村であった。

この地区の歴史は古く、台地東側野竹集落の西方二〇〇メートル「東ノ手」「西ノ手」と呼称される六町四方は、古代信濃国府が設置された場所と想定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報