碓氷関所跡(読み)うすいせきしよあと

日本歴史地名大系 「碓氷関所跡」の解説

碓氷関所跡
うすいせきしよあと

[現在地名]松井田町横川

霧積きりづみ川北岸の中山道に設けられた関所。明治二年(一八六九)廃関になったが、昭和三二年(一九五七)東門が復元された。県指定史跡。東門と西門の距離は五二間二尺、門の高さは一・五丈、両門の間を中山道が通っていた。街道北側の高所約二間に石垣を積み、東から番頭住宅二・平番住宅一、番所があり、番所西北方に作事小屋、南側に同心小屋、東門を入った右に箱番、後方に門番室、西門南側に箱番、後方に門番室があり、いずれも板塀で道と画されていた。

昌泰二年(八九九)九月一九日の太政官符(類聚三代格)に、相模国足柄あしがら坂とともに上野国碓氷坂に関を設けたことがみえる。当時上野国を中心とする東国において、馬を奪って輸送業を営む馬の党が出没した。朝廷は上野国府の要請で彼らの追討を命じ、碓氷峠足柄山に関を設けて取締を行った。平将門の乱平定後の天慶三年(九四〇)四月六日には碓氷関使を停止している(貞信公記)。関の設置や廃止はしばしば行われたようで、正応二年(一二八九)北条氏が関長せきなが原に、文禄元年(一五九二)伊奈忠次・大久保長安が横川よこかわに関を設けたと伝える。慶長一九年(一六一四)井伊直勝が関長原に仮番所を建てて横川・はら両村の者に守らせたという(安中志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報