石粟庄(読み)いしあわのしよう

日本歴史地名大系 「石粟庄」の解説

石粟庄
いしあわのしよう

現高岡市中田なかだの南東部、旧礪波郡の北東地域に相当し、般若野はんにやの地区のたき今泉いまいずみ反保島たんぼじま辺りに比定される古代の東大寺領庄園。天平宝字三年(七五九)一一月一四日の礪波郡石粟村官施入田地図(奈良国立博物館蔵)標題に「越中国礪波郡石粟村官施入田地図 奈良麻呂地」とみえており、同地はもと橘奈良麻呂の私有地であった。しかし同元年七月に起きた橘奈良麻呂の変で没収され、一二月の勅旨で一一二町が東大寺へ施入された(大治五年三月一三日「東大寺諸庄文書并絵図目録」東大寺文書)。橘奈良麻呂の私有地が当地に成立した背景には、天平二〇年(七四八)三月奈良麻呂の父橘諸兄家の使者造酒司令史田辺福麿が越中国を訪れた件(「万葉集」巻一八)に示されるように、同一八年から天平勝宝三年(七五一)にかけて越中国守の地位にあった大伴家持との緊密な関係が推定される。

天平宝字三年の前掲地図では端書に田積が記されず、旧橘奈良麻呂地の規模は不明だが、図中に記される開田積(八六町八段二八四歩)野地(七〇ヵ所)ならびに欠損部(一〇余ヵ所)の分を加えると、総地は一一二町を大きく上回る可能性が高い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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