石清水臨時祭(読み)イワシミズリンジサイ

デジタル大辞泉 「石清水臨時祭」の意味・読み・例文・類語

いわしみず‐りんじさい〔いはしみづ‐〕【石清水臨時祭】

石清水八幡宮で毎年3月、中午の日または下午の日に行われてきた祭り。天慶5年(942)平将門藤原純友の乱平定の祭りを行ったのに始まり、のち恒例となる。都の人は賀茂祭北祭、これを南祭と呼んだ。

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精選版 日本国語大辞典 「石清水臨時祭」の意味・読み・例文・類語

いわしみず‐りんじのまつり いはしみづ‥【石清水臨時祭】

〘名〙 石清水八幡宮で、毎年三月の中の午(うま)の日、または下の午の日に行なわれた祭礼平安時代朱雀天皇の天慶五年(九四二)、承平・天慶の乱平定の報賽(ほうさい)のため臨時に行なわれた。やがて恒例となり、室町時代中断したが江戸時代復活。賀茂臨時祭を北祭と称するのに対し、南祭と呼ぶこともある。明治三年(一八七〇廃止。《季・春》 〔小右記‐長和三年(1014)三月二七日〕

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世界大百科事典(旧版)内の石清水臨時祭の言及

【石清水祭】より

…山上の本社に遷御し,宮司が祝詞を読み扉を閉じて,祭儀を終了する。 また,同宮の二大祭の一つである石清水臨時祭は,942年(天慶5)に平将門・藤原純友の乱平定の報賽(ほうさい)のため臨時に行われたのが始まりで,971年(天禄2)からは名称は臨時祭のままで恒例となり,毎年旧3月に行われた。古くは賀茂祭を北祭というのに対して南祭ともいわれ,京の二大祭の一つとも称されたが,1870年(明治3)に廃止された。…

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