石和町(読み)いさわちよう

日本歴史地名大系 「石和町」の解説

石和町
いさわちよう

面積:一四・九二平方キロ

甲府盆地のほぼ中央部に位置し、西は甲府市、南は中道なかみち町・境川さかいがわ村・八代町、東は一宮町・御坂みさか町、北は東山梨郡春日居かすがい町。北端には大蔵経寺だいぞうきようじ(七一五・六メートル)があるが、町の大部分は河川に運ばれた土砂の堆積した平坦地。笛吹川の流れに沿って北東から南西に七・一キロ、北西から南東に二・一キロの細長い形の町で、北東より笛吹川と平等びようどう川、南東よりかね川が町域に流れ込み、東部で金川が、南で平等川がそれぞれ笛吹川に流入している。町域は笛吹川・平等川の水系と笛吹川左岸の金川水系とに分れ、金川沿いの地区は扇状地が発達し、笛吹川沿いの地区が滞水に悩んだのとは対照的に渇水による水争いが頻発した。石和町はこれらの河川に育まれてきた地域であるが、古来より洪水と河身変更が繰返され、当地に暮す人々を苦しめてきた。北部にJR中央本線が東西に走り、石和温泉いさわおんせん駅がある。駅の南から東にかけて近津ちかつ用水沿いに温泉街が形成され、旧甲州道中にほぼ沿ったかたちで国道四一一号が、また町の中央部を甲府―勝沼かつぬまバイパス(国道二〇号)が東西に通っている。

当町域での遺跡分布は大きく二ヵ所に分れる。笛吹川はこれまで何度か氾濫を繰返しており、その影響を受けていない地域に遺跡は分布する。右岸では北部の大蔵経寺山の山腹と、山裾の松本まつもと山岸やまぎし地区に多くの遺跡が確認されている。左岸では上平井かみひらい・下平井・中川なかがわ地区の微高地に集中している。「石和町誌」編纂に先立ち、昭和六二年(一九八七)に分布調査を行ったところ、左岸の中川や上平井・下平井地区の遺跡の集中が改めて確認された。旧石器時代の遺跡や遺物は発見されておらず、居住の痕跡は縄文時代になってから確認される。縄文時代の遺跡は七ヵ所ほどである。小石和こいさわ地区の横田よこた遺跡は当町内の縄文時代遺跡としては規模が大きく、耕作時に多量の遺物とともに焼土も検出されており、住居跡の存在が予想される。ほかはいずれも表面採取された断片的資料である。弥生時代ではやはり小石和地区の観音溝かんのんこう遺跡で後期の竪穴住居跡二軒と溝四条が確認されている。このほか数ヵ所で後期の土器が出土しているが、いずれも偶然の発見である。古墳時代の集落は大蔵経寺山の中腹や山裾にある古墳群(積石塚と土盛墳)との関係から松本・山岸地区の集落の存在が予想されていたが、松本塚まつもとつかこし遺跡の調査で多数の竪穴住居跡が確認された。「和名抄」の山梨郡石禾いさわ郷は当町域に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報