真野代新田(読み)まのしろしんでん

日本歴史地名大系 「真野代新田」の解説

真野代新田
まのしろしんでん

[現在地名]中之島村真野代新田

信濃川右岸の自然堤防上、中条ちゆうじよう村の下流にあり、同村の枝郷。開発年号並庄屋名主遣書覚書(星野重平氏蔵)には、元和六年(一六二〇)中条村名主助之丞の開発とある。明暦三年(一六五七)とされる山通島通新田石高帳御高付(新発田市立図書館蔵)に真之代新田とみえ、七二石四斗余。寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)によれば物成高一〇〇石九斗余、家数一九・人数一四二。元禄郷帳は真代新田と記し一六七石四斗余。寛保組村郷帳石高(釈迦塚区有文書)では、田二三町六反余・分米一三五石八斗余、畑一五町三反余・分米三八石二斗余、家数本家七・名子家一六・間脇家一四、人数男一一九・女一一〇。

真野代新田
まのしろしんでん

[現在地名]紫雲寺町真野代

小川おがわ新田のうちにある。享保二〇年(一七三五)初検地の紫雲寺潟新田一村であるが、検地後小川新田より分離された。元文元年(一七三六)検地帳(宮川四郎兵衛氏蔵)によれば、新発田藩領真野原まのはらのうち一〇九町九反余を紫雲寺潟新田の屋敷地および林地として幕府へ返還したため、幕府は代地として小川新田から田畑高二六一石一斗余・反別二〇町余を分離し同藩に与えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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