真浦(読み)まうら

日本歴史地名大系 「真浦」の解説

真浦
まうら

[現在地名]家島町真浦

家島諸島のうち家島本島西部・西にし島西部などからなる。集落は家島本島湾奥部西部平地と西島に散在する。間浦まうらとも記された(播磨鑑)。郷帳類では家島に含まれる。安政六年(一八五九)の人別帳(家島町役場蔵)では人数一千四一七。明治二年(一八六九)の戸口調(同役場蔵)では戸数三六一・人口一千七六八。嘉永三年(一八五〇)西にしノ岬(保崎)砲台が築かれ、外国船の入港に備えた。安政六年二月火災が発生し、姫路藩から夫食米が下付された(家島町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報