真名村(読み)まなむら

日本歴史地名大系 「真名村」の解説

真名村
まなむら

[現在地名]美東町大字真名、吉敷よしき小郡おごおり町大字真名

現美東町の南端に位置し、鳳翩ほうべん山塊に発し厚東ことう川に注ぐ長田ながた川の中・下流域の村。南は厚狭あさ郡、東は吉敷郡上中郷かみなかごう(現小郡町)、西は岩永いわなが(現秋芳町)などと接する。村内を南北に吉敷郡小郡に至る小郡街道と刈屋浦かりやうら(現小野田市)に至る船木ふなき街道が通り、うち小郡街道に沿って一里塚が二ヵ所、真名市まないちに小送り場が設けられていた。

「注進案」所載の文亀三年(一五〇三)八月の裏銘をもつ竜尾たつのお八幡宮(現真長田八幡宮)の棟札写に「長門国美祢郡真名村辰尾八幡宮一宇」と記される。

真名村
まんなむら

[現在地名]茂原市真名

庄吉しようよし村の北に位置する。南端を伊南房州通いなんぼうしゆうどおり往還が通り、豊田とよだ川が流れる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に真名村とみえ、高七三〇石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では高七一一石余、旗本永井領。元禄一四年(一七〇一)には幕府領、旗本村上・宅間・御手洗・山下領の相給で(「田畑辻差出控帳」山崎家文書)、宝永七年(一七一〇)の茂原組万石之帳(南総郷土文化研究会所蔵文書)では幕府領に代わって旗本曲淵領が加わっている。

真名村
まなむら

[現在地名]岩美町真名

村の南東、蒲生がもう川中流左岸に位置する。同川を挟んで東は白地しらじ村。摩那村とも記した(因幡志)。元禄九年(一六九六)下札は白地村と分けられていなかったが、同一四年の下札は分けられていたといい、この間に領内限り一村となったと考えられる(安政五年村々生高竈数取調帳)。享保一九年(一七三四)の鈴木孫三郎所持本「因幡誌」に村名がみえ、高一四〇石、竈数一一とある。本免は四ツ八分。藪役銀二匁二分余を課されており(藩史)八田氏、西館家家臣大野氏の給地があった(給人所付帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報