相模野(読み)さがみの

日本歴史地名大系 「相模野」の解説

相模野
さがみの

相模川とさかい川の間に形成される台地上で、当市および座間ざま市・大和市海老名えびな市にまたがる入会野の総称

元亀三年(一五七二)一二月二〇日の北条家朱印状(県史三)に、無量光むりようこう寺の屋根葺替のため当麻衆中に命じた萱・草木の刈取場に「溝原 淵辺原 矢部原 田名野」がみえる。元禄年間(一六八八―一七〇四)の相模野周辺三六ヵ村入会絵図(荒井家蔵)によれば中和田なかわだ(上鶴間村中和田持)谷口やぐち(同村谷口持)宇野森うのもり(鵜野森村持)木曾きそ(淵野辺村・武蔵国多摩郡木曾村・同郡根岸村三ヵ村入会)矢部やべ(上矢部村・上矢部新田村二ヵ村入会)九沢くざわ(小山村・橋本村・上相原村・下九沢村・上九沢村・大島村・田名村・津久井県上川尻村・同県下川尻村九ヵ村入会)みぞ(上溝村・下溝村・当麻村三ヵ村入会)、座間野(磯部村・新戸村・座間宿村・入谷村・栗原村・大谷村・今里村・四谷村・新田宿村九ヵ村入会)柏谷かしわや(柏ヶ谷村・深谷村・深谷新田・草柳村・栗原村内小池村)鶴間つるま(下鶴間村・公所村)の一〇ヵ野に区分されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報