百済王俊哲(読み)くだらのこにきし・しゅんてつ

朝日日本歴史人物事典 「百済王俊哲」の解説

百済王俊哲

没年:延暦14.8.7(795.9.24)
生年:生年不詳
8世紀後半の武官。宝亀6(775)年従六位上で陸奥にあり,夷俘の乱を制した功で勲6等を受け,9年も出羽鎮定の功により勲5等を得た。伊治呰麻呂の乱(780)に際して陸奥鎮守副将軍となった。同年蝦夷に囲まれて刀も矢も尽きたところ,神力によって救われたという。天応1(781)年征夷の労により正五位上勲4等。延暦6(787)年には事に座して陸奥鎮守将軍から日向権介に左遷された。9年罪を免じられて入京し,10年東海道の征夷の軍士を簡閲したのち,下野守に任じた。同年さらに征夷副使となり,再び兼陸奥鎮守将軍となったが,14年没した。時に従四位下勲3等。娘貴命は嵯峨天皇の女御となり忠良親王を生んだ。

(佐藤信)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

今日のキーワード

自動車税・軽自動車税

自動車税は自動車(軽自動車税の対象となる軽自動車等および固定資産税の対象となる大型特殊自動車を除く)の所有者に対し都道府県が課する税であり、軽自動車税は軽自動車等(原動機付自転車、軽自動車、小型特殊自...

自動車税・軽自動車税の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android