百津村(読み)ももづむら

日本歴史地名大系 「百津村」の解説

百津村
ももづむら

[現在地名]水原町百津町・学校がつこう町・百津

安野あんの川右岸に位置し、北は下条げじよう村、東は下金田しもかねだ村。古くは吉田よしだ町と称したが、明暦期(一六五五―五八)に百津村に改称と伝える(水原郷土史)。寛文一三年(一六七三)の村上御領分組々村数并高付大庄屋付(大滝家文書)では堀越組に属し、貞享元年(一六八四)郷村高辻帳には高一八二石九斗余とある。のち幕府領となり、宝暦一一年(一七六一)の御巡見様御案内帳(渡辺家文書)には高二三二石余・家数四五とある。寛政一二年(一八〇〇)の水原代官所村々高書上帳(小田島余吉氏蔵)によると、水原組に属した。村の周辺には百津潟があったが、堀越ほりこし村や中潟新なかがたしん村などとの入会地であったため潟の所有権や用水権などをめぐって争いが絶えなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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