阿賀野川(読み)あがのがわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿賀野川」の意味・わかりやすい解説

阿賀野川
あがのがわ

新潟県中央部、福島県境から津川盆地(つがわぼんち)を通って、新潟市北区松浜で日本海に注ぎ、越後平野を東西に二分する川。一級河川。上流は会津盆地猪苗代湖(いなわしろこ)に源を発する日橋川(にっぱしがわ)と、尾瀬沼(おぜぬま)に発する只見川(ただみがわ)が合流し、阿賀川とよばれ、新潟県(東蒲原(ひがしかんばら)郡阿賀町)に入ると阿賀野川とよぶ。延長210キロメートル、流域面積7710平方キロメートル。上流県境は先行性蛇行による峡谷美が名物で、実川(さねかわ)、常浪(とこなみ)川、新谷(あらや)川などの支流をあわせ、谷口では早出(はいで)川が合流して蛇行地形を特色とする広大な谷口扇状地が広がる。河口は蒲原砂丘に阻まれて、かつては信濃(しなの)川と河口をともにしていた。現在の河口は1730年(享保15)に新発田藩(しばたはん)によって掘られた松ヶ崎分水である。江戸時代は津川湊(みなと)から新潟湊まで舟運の便が開け、「津川船道(ふなどう)」とよばれ、会津藩への物資輸送の動脈をなしていた。なお、信濃川に通ずる小阿賀野川は、1738年(元文3)舟運の便のために掘られた人工河川である。大正末期から電源開発が盛んとなり、上流峡谷部に鹿瀬(かのせ)、角神(つのがみ)の二大ダムができ、さらに第二次世界大戦後はその下流に揚川(あげかわ)ダムが建設されて、津川湖などの人造湖が連続する。峡谷美と、多くの観光名所をもち県立自然公園に指定され、阿賀野川ラインとよばれる大観光地になっている。沿岸は、峡谷をトンネルと鉄橋で抜けるJR磐越西線(ばんえつさいせん)と国道49号、磐越自動車道の近代交通路が完備し、咲花(さきはな)、麒麟山(きりんざん)、角神の温泉場や、麒麟山城跡、平等(びょうどう)寺薬師堂、護徳(ごとく)寺観音堂などの名所旧跡も多く、春の新緑、秋の紅葉期にはハイキング客でにぎわい、阿賀野川ライン下りの船旅もできる。豊実(とよみ)、角神、揚川の三大発電所では年間16万キロワット時の発電力があり、かつては鹿瀬に昭和電工の大化学肥料工場があったが、新潟水俣病(みなまたびょう)裁判で敗訴し(1971)衰微した。谷口の小松で取水される新江(しんえ)用水は蒲原(かんばら)平野の3万ヘクタールの水田を灌漑(かんがい)している。

[山崎久雄]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿賀野川」の意味・わかりやすい解説

阿賀野川
あがのがわ

福島県西部から新潟県中北部を流れて日本海へ注ぐ川。全長 210km。福島県西部を北流する大川は,会津盆地で猪苗代湖を源とする日橋川を合わせて西流,さらに尾瀬沼を源とする只見川と合流して阿賀川となり,新潟県へ入って阿賀野川となる。西流して越後山脈を先行性河川として横断。数段の河岸段丘がみられるこの部分は,阿賀野川ラインと呼ばれる美しい渓谷をつくり,阿賀野川ライン県立自然公園に属する。山地を離れた川は信濃川とともに,新潟平野を形成して日本海に注ぐ。かつては信濃川と河口を同じくしていたが,享保 15 (1730) 年砂丘後背地の干拓に伴い,松ヶ崎分水を掘ってから現在の河口になった。会津藩の物資輸送のため元文3 (1738) 年分流する小阿賀野川の改修が行なわれ,信濃川との連絡ができた。上流部は電源地帯として,木曾川,信濃川に次ぐ包蔵水力を有している。第2次世界大戦後は総合開発地域に指定され,電源開発を中心に工事が進められ,只見川上流の田子倉ダム奥只見ダムをはじめとする多くの発電所が設けられた。 1961年には谷口にあたる安田町小松に「阿賀野川頭首工 (とうしゅこう。取水装置) 」が設けられ,新潟平野北部地帯の灌漑用水に使用されている。なお,1964~65年頃から阿賀野川下流沿岸で有機水銀中毒による新潟水俣病 (→阿賀野川水銀事件 ) が顕在化し,1971年裁判判決によって,患者側が昭和電工に勝訴した。

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百科事典マイペディア 「阿賀野川」の意味・わかりやすい解説

阿賀野川【あがのがわ】

福島県西部から新潟県北部を流れる川。長さ210km,流域面積7710km2。会津盆地周辺の水を集め,山都(やまと)付近で只見川を合わせ,越後山脈に横谷を刻み,数段の段丘をつくって先行性流路を示す。五泉(ごせん)から広い沖積平野を形成する。中世には阿賀川とみえ,江戸時代には新潟湊と会津藩領を結ぶ舟運が発達した。包蔵水力が大きく,只見川はじめ電源開発が活発。1964年―1965年下流部で有機水銀中毒事件が発生した(水俣(みなまた)病)。
→関連項目会津盆地秋葉[区]飯豊山越後山脈越後平野尾瀬ヶ原鹿瀬[町]北[区]江南[区]下郷[町]帝釈山脈田島[町]津川[町]新潟[県]新潟水俣病西会津[町]沼垂東[区]福島[県]安田[町]山都[町]横越[町]

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デジタル大辞泉 「阿賀野川」の意味・読み・例文・類語

あがの‐がわ〔‐がは〕【阿賀野川】

福島・新潟の両県にまたがって流れる川。猪苗代いなわしろに源を発する日橋にっぱし川と尾瀬沼に発する只見ただみとが合流し、新潟市東部で日本海に注ぐ。長さ210キロ。発電所が多い。

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精選版 日本国語大辞典 「阿賀野川」の意味・読み・例文・類語

あがの‐がわ ‥がは【阿賀野川】

新潟県中央部を流れる川。尾瀬沼から発する只見川と猪苗代湖から発する日橋川が合流し、阿賀野ラインの峡谷美を作って日本海に注ぐ。江戸時代、会津への水運の要路。全長二一〇キロメートル。

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事典 日本の地域遺産 「阿賀野川」の解説

阿賀野川

(新潟県東蒲原郡阿賀町)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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世界大百科事典 第2版 「阿賀野川」の意味・わかりやすい解説

あがのがわ【阿賀野川】

福島県西部から新潟県北部を流れる川。幹川流路延長210km,全流域面積7710km2。河川法では福島県南部にある帝釈山地の荒海山(1580m)に発する源から新潟市で日本海に注ぐまでを阿賀野川というが,一般的には福島県内の上流部を大川,日橋(につぱし)川との合流点から新潟県境までを阿賀川,新潟県に入ってからを阿賀野川という。荒海山に源を発する大川は北流して会津盆地に至り,猪苗代湖に発した日橋川を合わせて阿賀川となり,西流して喜多方市山科で越後山脈に入る。

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日本歴史地名大系 「阿賀野川」の解説

阿賀野川
あがのがわ

福島県と栃木県境の荒海あらかい(一五八〇・四メートル)に源を発しておお川となり福島県中央部を北流、日橋につぱし川と合流する河沼かわぬま会津坂下あいづばんげ町の北東から阿賀あが川となって西へ向きを変え、耶麻やま高郷たかさと村で只見ただみ川を合せて新潟県へ入る。県境で阿賀野川と名を変え、県境の越後山地では深い峡谷をうがって津川つがわ盆地に流れ出し、新潟平野の中央を東西に横断して新潟市北部で日本海に注ぐ。一級河川。全長二一〇キロ、全流域面積七千七一〇平方キロ。うち県内の阿賀野川は全長約九二・七キロである。東蒲原ひがしかんばら郡津川町で常浪とこなみ川、同郡三川みかわ村で新谷あらや川を合せ、五泉市馬下まおろしで新潟平野に出る。平野部では早出はいで川などを合流し、荒川性の蛇行を繰返して扇状地堆積を進める。下流は島見しまみ潟などラグーンマーシュを三角洲堆積で埋める。かつては日本海沿いの広大な蒲原砂丘に阻まれて左へ折れて流れ、日本海へ注いでいた。寛永一〇年(一六三三)決壊により信濃川と合流した。現在の河口は享保一五年(一七三〇)新発田藩によってまつさき(現新潟市)で砂丘を開削して出来たものである。

古代の沼垂ぬたり郡と蒲原かむはら郡の境はおそらく当川付近で、北が沼垂郡、南が蒲原郡であったらしい。

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