百合谷村(読み)ゆりたにむら

日本歴史地名大系 「百合谷村」の解説

百合谷村
ゆりたにむら

[現在地名]美和町大字百合谷

玖珂郡の北東部にあり、西は大根川おおねがわ、南は長谷ながたにの各村。北東は小瀬おぜ川を挟んで安芸国。寛永二〇年(一六四三)藤谷ふじたに村を分割してできた村で、慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」に村名が出る。岩国藩領。

村名について「玖珂郡志」は「湯気ゆけ谷也、芸州飯谷ノ方、河手ニ古来ヨリ涌出温泉、毎冬夥敷湯気立昇也」と記す。小瀬川に沿う山村で、小字には向田むかいた前田まえだ大浴おおえきさこ牛飼原うしかいばら空垣内そらがいち下垣内しもがいちうつ尻うつじりなどがあり、「享保増補村記」によれば村高は八二石余、人口一五九人、牛一六頭。庄屋黒沢くろざわ村庄屋の兼務で、村内に刀禰一人がおり、藤谷組代官に属した。

百合谷村
もまえだにむら

[現在地名]鷲敷町百合谷

百合村の南東、那賀川中流域に位置し、北西朝生あそう(現相生町)南西やなうえ(現同上)、東は北荒田野きたあらたの(現阿南市)。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図に百合谷村とみえる。正保国絵図、寛文四年(一六六四)郷村高辻帳、天保郷帳などには記載がなく、阿井あい村に含まれるものと思われる。文化九年(一八一二)の郡村仮名付帳(鷲敷町史)によると阿井村の枝村となっている。同一〇年の高都帳では高四一石余。「阿波志」によると水陸田四町一反余。旧高旧領取調帳では高四二石余、すべて蔵入地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報