白鳥古墳(読み)しらとりこふん

日本歴史地名大系 「白鳥古墳」の解説

白鳥古墳
しらとりこふん

[現在地名]熱田区白鳥町

熱田台地西縁の南端部、標高七メートル前後に位置する南向きの前方後円墳で、断夫山だんぷやま古墳の南四〇〇メートル。全長六八メートル・後円部高さ七・四メートルの規模で、周溝外側にかつて周庭帯とみられるものが存在した。天保八年(一八三七)石室が現れ、六鈴鏡・馬具・鉄鉾・直刀のほか、装飾付須恵器三点を含む須恵器七点(六世紀前半に編年される)などが発見され、写生図(「尾張名所図会」附録二)を残して、もとに埋戻された。

白鳥古墳
しらとりこふん

[現在地名]平生町大字佐賀 森ノ下

熊毛半島西岸の小丘の突端に位置する古墳時代中期の前方後円墳。周湟と陪塚を備え、葺石埴輪をもち、後円部ほぼ中央が掘りとられて白鳥神社本殿拝殿が建つ。県指定史跡。

古墳は北北西に面し、全長一〇〇メートル、後円部の直径六五メートル、高さ一一メートル、前方部の最大幅五〇メートル、高さ九メートル、くびれ部幅四五メートルを測る山口県最大の古墳。

「注進案」によると、寛延元年(一七四八)大風で白鳥神社の社殿大破

白鳥古墳
しらとりこふん

[現在地名]東広島市高屋町郷

白鳥山頂にあったが、明治四三年(一九一〇)白鳥神社社殿建設によって全壊。発掘調査を経ていないので、墳形・規模・内部構造などは不明だが、高さは一・五メートルほどで周囲に埴輪をめぐらし、竪穴式石室箱式石棺が納められていたといわれる。工事の際出土した遺物のうち製三角縁神獣鏡二面(直径二二センチと一六センチ)、碧玉製勾玉一点、鉄製素環頭太刀一点が白鳥神社に蔵される。

白鳥古墳
しらとりこふん

[現在地名]高宮町房後 上房後

中国山地を刻む狭い谷筋にある小規模な前方後円墳で、標高二六五メートル、水田面からの比高約一〇メートルの、平地に向かって突出した低丘陵先端部に位置する。墳丘は自然地形を利用し整形したもので、全長約二〇メートル、後円部径一三メートル、高さ二・五メートル、前方部幅一三メートル、長さ七メートル、高さ一メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報