界外村(読み)かいげむら

日本歴史地名大系 「界外村」の解説

界外村
かいげむら

[現在地名]上野市界外

上友生かみともの村の西。かつては上友生村に属し天保郷帳には村名がない。「伊水温故」にもないが、当村西光さいこう寺の観音・勢至両菩薩像台座裏の墨書銘に「友生界外村、貞享四年」とあり、この頃分村したのであろう。当村の北中央部に日野地代ひのじだいという地名があるが、嘉暦二年(一三二七)の衆議書(三国地志)によれば、日野地久行らが元応元年(一三一九)五月一三日にも有丸ありまる(現阿山郡大山田村)乱入八幡宮神人の黄衣を剥取るなどの乱暴を働いたので、久行以下の交名人を捕らえて遠流にすべきことを東大寺幕府に訴えている。この日野地氏は当村の住人であろう。室町時代には阿弥陀寺もあった。

寛文元年(一六六一)古検を改め、本高四〇八・三九七石、平高四九八・六四二石。

界外村
かいげむら

[現在地名]上野市古山界外ふるやまかいげ

菖蒲池しようぶいけ村の東にあり、同村との境に発する矢多やただい川はなみだ川ともよばれ(伊水温故)鍛冶屋かじや村を経て猪田いだ川に合する。中世には長福ちようふく寺があったが、天正伊賀乱後、菖蒲池村に移ったといわれる(→市場寺田仏の光明たぶつのこうみよう(天台真盛宗)には天文二三年(一五五四)地蔵石仏と、同じ作風の石幡塔がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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