北浦(読み)きたうら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北浦」の意味・わかりやすい解説

北浦
きたうら

茨城県南東部霞ヶ浦の東側で行方 (なめかた) ,鹿島両台地にはさまれ,北西から南東に細長く横たわる湖。面積 35.2km2,周囲 64km。北部と南部が浅く,最大水深は 10m。淡水の富栄養湖。巴川鉾田川が合流して北端で流入し,南は外浪逆浦 (そとなさかうら) に続く。湖岸には鉾田をはじめ多くの集落が発達し,沖積地には水田が開ける。漁業イサザフナワカサギが多く,コイの養殖も行われる。江戸時代から水上交通路として知られ,東北地方から江戸への物資の輸送路や鹿島・香取神宮参拝の通路として利用された。鹿島臨海工業地域の工業用水,上水道用水源としても利用され,中部の武井に揚水機場を設けて工場に給水。満潮時の海水逆流防止を目的とした常陸川水門の建設によって淡水湖となる。南端を JR鹿島線,国道 51号線が通る。水郷筑波国定公園に属する。

北浦
きたうら

宮崎県北部,延岡市北東部の旧町域。大分県との県境にあり,日向灘に臨む。 1972年町制。 2006年延岡市に編入。江戸時代は延岡藩領。ほとんどが山地で,耕地はわずかである。水産業が中心で,イワシ漁のほかハマチの養殖が行なわれる。古江のキンモクセイおよび高島のビロウ自生地は,ともに国の天然記念物に指定されている。東部の南北浦海岸は風光よく日豊海岸国定公園に属する。

北浦
きたうら

茨城県南東部,行方市北東部の旧町域。北浦北西岸に位置する。 1955年武田村,津澄村,要村の3村が合体して北浦村となり,1997年町制。 2005年麻生町,玉造町と合体して行方市となった。ミツバの軟化栽培 (→黄化処理 ) が行なわれ,北浦みつばの産地として知られる。

北浦
きたうら

秋田県西部,男鹿半島北西部にある男鹿市の一地区。旧町名。 1955年男鹿市に編入。古くから港町として栄え,男鹿文化発祥の地。農業,水産業が主で,八望台からの一ノ目潟,二ノ目潟の展望,男鹿温泉郷などの観光の基地。

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百科事典マイペディア 「北浦」の意味・わかりやすい解説

北浦【きたうら】

茨城県南東部にある南北に細長い湖。標高0.2m,面積35.04km2,最深7.0m。北端に巴川が流入,南端は外浪逆浦(そとなさかうら)を経て利根川に続く。近世鹿島参宮,江戸への物資輸送の水運に利用。淡水の富栄養湖で,シラウオ,ワカサギ,ウナギが漁獲され,コイ養殖も盛ん。南端部は水郷筑波国定公園に属する。→霞ヶ浦
→関連項目麻生[町]潮来[市]潮来[町]茨城[県]霞ヶ浦四十八津関東平野北浦[町]鉾田[町]

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デジタル大辞泉 「北浦」の意味・読み・例文・類語

きた‐うら【北浦】

茨城県南東部の海跡湖。南北に長く、面積36平方キロメートル。鹿島工業地帯の用水源。西の霞ヶ浦とともにワカサギ漁の帆引船ほびきぶねで知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「北浦」の意味・読み・例文・類語

きたうら【北浦】

茨城県南東部、霞ケ浦の東側にある海跡湖。南北に細長く、古くは鉾田から鹿島神宮や江戸へ向かう水路に利用された。面積三五・二平方キロメートル。

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デジタル大辞泉プラス 「北浦」の解説

北浦

宮崎県延岡市にある道の駅。国道388号に沿う。

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世界大百科事典 第2版 「北浦」の意味・わかりやすい解説

きたうら【北浦】

茨城県南東部の淡水湖。鹿島台地と行方(なめがた)台地にはさまれた南北に細長い湖で,流入河川は巴川など20近くあるが,流出河川は鰐(わに)川のみで,外浪逆浦(そとなさかうら),常陸利根川を経て利根川に通じる。面積36.1km2。最大深度7m。洪積台地面の河刻によって生じた低地への滞水によって成立した。近世初期まで関東平野東部に広く水域を占めた流海(ながれうみ)の残存部分にあたり,海退に伴う水域縮小に次いで,流入河川による湖面の埋立てが進み,湖岸線の出入りがめだっている。

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日本歴史地名大系 「北浦」の解説

北浦
きたうら

[現在地名]美保関町北浦

日本海に面し、東は戦谷たたかいだに山・巻谷まきだに(大黒山)を境にすげ浦、西は枕木まくらぎ山・ちゆう山を境に長海ながみ(現松江市)千酌ちくみ浦、南は巻谷山・畑谷はただに山で下宇部尾しもうべお村、手角たすみ(現松江市)・長海村。巻谷から稲積いなづみ川が北流し、途中馬見谷うまみだにから流れる馬見谷川と合流し、稲積湾へ注ぐ。千酌浦から当浦を経て菅浦へ至る道が通る。途中分岐して手角村への道、さらに分れて長海村への道がある。東部を稲積と称する。「出雲国風土記」島根郡所載の稲上いなあげ浜は稲積浦に、稲積島は稲積湾内の二つの島に比定される。「二つの窟あり」とある勝間かつま埼は北東に突き出たまき崎に比定され、現在も崎の東側に二つの洞窟がある。崎の中央には摩爾祖まにそ(現麻仁曾山)が孤立し、崎の先端をまき鼻という。永禄一三年(一五七〇)一一月四日の毛利元就・同輝元連署感状(閥閲録)に北浦がみえ、当地を警固し戦功をあげた児玉就英が賞されている。天正二年(一五七四)四月二二日、湯原春綱は北浦などの帆役を与えられている(「湯原春綱帆役覚書」同書)


きたなだうら

[現在地名]津島町北灘

北灘湾の南北両岸の二つに分れている浦。北は東三浦ひがしみうら・西三浦(現宇和島市)、南は下灘浦しもなだうら、東は近家ちかいえ村・岩松いわまつ村に接する。

永徳二年(一三八二)七月二九日の奥野ノ村(現広見町興野々)の「一宮大明神大般若経奥書」に「伊予国宇和郡喜多灘、左近将監橘元村」と地名が異記される。また慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項には「北灘浦 柴山有、茅山有」と村名が記される。吉田藩領。

太閤検地の石高は七七七石七斗八升三合であった。「郡鑑」によると本網一二帖、結出網一帖、鮗網一帖で、網船一六艘、小船四九艘とある。

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