町端村(読み)まちばたむら

日本歴史地名大系 「町端村」の解説

町端村
まちばたむら

[現在地名]那覇市首里池端町しゆりいけはたちよう首里真和志町しゆりまわしちよう一丁目

首里城の西に位置し、南は真和志まーじ村、北東南風ふえー之平等当蔵とーぬくら村、北は同平等大中うふちやん村。真和志まーじ之平等のうち。首里古地図には金城筑登之親雲上・小波津筑登之親雲上ら二八の屋敷地のほか、天山ていんさん陵・鍛冶奉行所・龍潭りゆうたん、町と記された広場などがみえる。田・畠はみえない。「琉球国由来記」によれば、崇禎四年(一六三一)薩摩の隈本源助盛治が渡来して運天と称し、町端村に居住し造筆を家業とした。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報