田窪藤平(読み)たくぼ・とうへい

朝日日本歴史人物事典 「田窪藤平」の解説

田窪藤平

没年:大正7.4.2(1918)
生年:文政11.6.21(1828.8.1)
幕末明治期の塩田改良者。伊予国越智郡波止浜(今治市)に生まれ,14歳で父武平に従って塩田労働に従事。嘉永4(1851)年24歳のとき,伊予,讃岐,播磨,備前,備後,安芸の塩田を見聞し,製塩法について,地質,気候の差によって作業方法を変えねばならない多くのことを学んだ。まず伊予国大三島井口浜(愛媛県上浦町)の支配大工として改良に着手,次いで同島口総塩田,続いて宗方塩田(ともに大三島町)を小作,宗方塩田では入れ替え土(撒砂)に改良を加え,1塩田年産2700俵を8000俵まで増加させた。その後,安芸,備後各地に招聘されて塩田改良工事に従事,藤平流製塩法が広く知られるようになった。<参考文献>渡辺則文『広島県塩業史』,岡光夫『日本塩業のあゆみ』

(渡辺則文)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報