田牛村(読み)とうじむら

日本歴史地名大系 「田牛村」の解説

田牛村
とうじむら

[現在地名]下田市田牛

吉佐美きさみ村の南に位置し、東は下田湊に面する。山神やまがみ川がまえはまに注ぐ。多牛村とも記した。暦応三年(一三四〇)一一月一九日の執事高師直奉書(三嶋大社文書)には宇都宮九郎左衛門尉跡地の「蒲(屋)御厨内多牛村」がみえ、この時に三嶋社(三嶋大社)に交付され、去年七月一六日の「御寄附状」にまかせての施行とあるので、寄進者は足利尊氏と考えられる。その後足利義満は三嶋社領の「田牛村」などを社家に渡すよう鎌倉公方足利氏満に命じている(年未詳一〇月二日「足利義満御内書」同文書)。応永一三年(一四〇六)六月二三日、伊豆守護上杉憲定は当村を三嶋社神主に交付するよう命じ、翌閏六月一五日に打渡された(「上杉家奉行人連署奉書」同文書など)。明応一〇年(一五〇一)三月二八日の伊勢長氏判物写(「集古文書」所収伊豆走湯山東明寺文書)によれば、長氏(北条早雲)上千葉かみちよう(現神奈川県小田原市)内の走湯山(伊豆山神社)分の替地として当村を走湯山に寄進した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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