田中鶴吉(読み)たなか・つるきち

朝日日本歴史人物事典 「田中鶴吉」の解説

田中鶴吉

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:安政2(1855)
明治初期,日本天日製塩法を企てた事業家。幕臣田中右馬之允の長男として安政2(1855)年江戸狸穴に生まれる。11歳で家出し米国商船のボーイとなり,のちサンフランシスコの商館に勤めた。1873年,天日製塩法習得を志して新鋭製塩会社に入社,明治12(1879)年たまたま訪れた千葉県の前田喜代松(酪農事業の先駆者)の勧めで帰国し,東京深川地先に試験塩田を築造した。しかし,いざ操業というとき不運にも暴風雨のため塩田は壊滅してしまう。再建を諦めて天日製塩の利を説いて各地を巡ったが成果なく,14年小笠原諸島へ渡り塩田開発を計ったが実現しなかった。19年再びアメリカへ渡った。<参考文献>田村栄太郎『日本の技術者

(村上正祥)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中鶴吉」の解説

田中鶴吉 たなか-つるきち

1855-? 明治時代の製塩技術者。
安政2年生まれ。幕臣の子。11歳のとき家出し,アメリカ商船のボーイとなり渡米。サンフランシスコの商館勤務をへて,製塩会社にはいり,天日製塩法をまなぶ。明治13年帰国。東京深川で試験塩田をつくるが,暴風雨で壊滅。のち各地で製塩法の普及につとめた。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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